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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)2284号 判決

控訴人(附帯被控訴人、被告) 国

訴訟代理人 岡本 拓外一名

被控訴人(附帯控訴人、原告) 保谷作治

補助参加人 染谷昌亮

主文

控訴人国の本件控訴を棄却する。

附帯控訴に基き、原判決中附帯控訴人(原告)敗訴の部分を左のとおり変更する。

附帯被控訴人は附帯控訴人に対し、原審認容の金額の外、更に金九万三千五百八十一円及びこれに対する昭和二十五年二月二十日以降完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。

附帯控訴人その余の請求(当審における拡張請求を含め)は、これを棄却する。

訴訟の総費用はこれを三分し、その二を控訴人(附帯被控訴人)その余を被控訴人(附帯控訴人)の各負担とする。主文第三項は仮りに執行することができる。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人と略称)の指定代理人は「原判決中控訴人勝訴部分を除きその余を取り消す。被控訴人の本訴請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並に附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人と略称)の訴訟代理人は、控訴棄却の判決並に「原判決中附帯控訴人敗訴部分を取り消す。附帯被控訴人は附帯控訴人に対し、金三百三十七万八千九百四十八円及びこれに対する昭和二十五年二月二十日から完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の供述は、当審においてそれぞれ次の如く補述した外原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

被控訴代理人の主張

一、訴外中村寛二は昭和二十五年二月十八日附で依願免官となつたのであるが、その免官辞令が総理府より通商産業省へ発送され、本人に交付されたのは同月二十一日で、これが官報に掲載されたのは翌二十二日である。しかして免官の効力は、辞令の交付若しくは官報掲載をまつて初めて発生するのであるから、本件事故発生当時中村は依然通商産業大臣秘書官たる地位を失わなかつたものである。本件は同省の職員たる訴外藤沼忠左衛門が同省の事業の執行として右中村秘書官を同省の自動車に乗せて運転中、過失によつて惹起した事故であるから、控訴人はその結果につき責任を免れない。なお控訴人の主張する電話による免官通達の事実は否認する。

二、被控訴人は杉並区内魚商仲間のうち営業成績中位に属し、本件事故発生前、少くも一日金二千円年間を通じ金七十三万円の営業収益を挙げ、諸税を差引いても金五十八万円の純益を得ていたところ、本件事故による負傷の結果営業上の活動力の五分の四を失い、純益も前記金額の五分の一程度に減少し、年間四十六万四千円に上る損害を受けるに至つた、しかして当今医薬の進歩に伴い、日本人男子の平均生命は七十才となつたこと世上顕著な事実であるから、当時四十二才の被控訴人はなお少くも二十六年の余命を有し、その間営業に従事して本件事故がなければ生じない右減益額総計千二百六万四千円に達する損害を蒙ることとなつた。今これを一時に請求する次第につき、ホフマン式計算法を用いて中間の法定利息を控除して計算するに、右の損害額は金五百二十四万五千二百十円となる。

三、被控訴人は当審においては請求を拡張し、(一)医療費等二十五万五千四十円(原審認定の額)(二)慰藉料としては金二百万円を相当とするところ、そのうち金百万円(三)営業上の損害額のうち金四百二十四万四千九百六十円、以上合計金五百五十万円の支払を求めんとするのであるが、既に第一審において一部勝訴したのでその額を控除し、残額三百三十七万八千九百四十八円及びこれに対する事故発生の翌日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。なお被控訴人は訴外藤沼忠左衛門との関係において、示談金として金五万五千円を受領したが、これは右(二)(三)の損害額のうち本訴請求にかからざる部分よりこれを控除するものである。

控訴人の主張

一、訴外中村寛二に対し退官辞令が交付された日及び右辞令の官報掲載の日が、被控訴人主張のとおりであることは認める。しかし国務大臣秘書官は一般に大臣と進退を共にするものであるから、稲垣通商産業大臣が昭和二十五年二月十七日辞任するや、これに伴い中村も辞表を提出し、同人の依願免官は二月十八日附で発令され、内閣総理大臣官房人事課より同日直ちに電話を以て右発令を通商産業省を経由して中村に伝達した。従つて中村は同日を以て退官したものとして取扱われ、辞令交付前においても事実上同省に出勤していなかつたのである。かように自他共に既に退官したものとされていた中村が、純然たる私用のために藤沼忠左衛門に対し個人的情誼関係に基いて乗車の依頼をなし、藤沼がこれに応じて本件自動車を運転した結果、事故に遭遇したのであるから、中村退官の法的効果が発生していたと否とに拘らず、右事故による損害は通商産業省の業務の執行につき生じたものということはできない。

二、しかも本件事故は右藤沼の運転上の過失によつて発生したものではなく、被控訴人の搭乗する染谷昌亮運転のオート三輪車が、藤沼の自動車の左斜後方よりその直前を通り抜けようとして、誤つて自動車の左側泥除板にオート三輪車後部右側車輪止を擦過接触せしめ、自ら緑地帯に乗り上げたために生じたもので、藤沼には何等過失がない。原審で提出した過失相殺の抗弁は主張しない。

三、被控訴人の損害額に関する当審での主張は否認する。

〈立証省略〉

理由

被控訴人がその主張の日時に、訴外染谷昌亮の運転するオート三輪車の左側助手席に乗車し、三宅坂方面から日比谷交叉点に向い東京都千代田区霞ケ関都電桜田門停留所附近を進行し、桜田門警備出張所前を経て都電軌道と緑地帯との間の疾行車道に向け、稍右折して進行したこと、訴外藤沼忠左衛門が通商産業省の自動車に訴外中村寛二等を乗せ、原判決事実摘示にいわゆるB道(虎の門方面より桜田門に通ずる道路)をA道(三宅坂方面より日比谷交叉点に至る道路)に向けて進行し、日比谷交叉点に向い右折しようとして桜田門交叉点に入つたこと、右交叉点附近において、被控訴人搭乗のオート三輪車の後部車輪止が通商産業省の自動車の左前泥除板に接触し、オート三輪車が後車輪をA道の緑地帯に乗り上げ、それを超えて車道に降りる際、車体動揺して左方に転覆し、左側助手席にいた被控訴人がその反動によりアスフアルト敷道路に墜落し、左大腿骨折等の重傷を負つたことは、いずれも当事者間に争がない。

原本の存在並に成立に争のない乙第一号証原審証人本山良三、藤沼忠左衛門、染谷昌亮、小美野鍋吉、山本恒次、原審並に当審証人中村寛二の各証言(但し後記認定に牴触する部分は措信しない)と原審並に当審における被控訴本人尋問の結果とを綜合すれば、次の事実が認められる。即ち右オート三輪車は桜田門警備出張所前に差しかゝり、稍右折して疾行車道を時速十ないし十二、三キロの速度で日比谷方面に向け進行しようとした際、通商産業省の自動車がオート三輪車より稍遅れて同所に差しかかつたこと、当時同交叉点に設置された交通信号は黄色閃光信号であり、各自が注意して進行すべきことを示していたこと、藤沼忠左衛門はオート三輪車が疾行車道の左側なる緩行車道(人道と緑地帯との間の車道)を進行するものと誤認し、速度を時速十哩位に落したのみで、停車することなくそのまゝこれと併行して進行しようとした結果、前記の如くその左前泥除板をオート三輪車の後部車輪止に接触せしめたものであること、オート三輪車は右接触の結果その進路を失つて動揺し、右後車輪を緑地帯に乗り上げ、顛覆するに至つたこと等の事実が認められる。控訴人の挙げる証拠によつてはこの認定を左右することはできない。

右認定の如き状況の下において、藤沼がB道よりA道に進入するに当つては、右オート三輪車との接触を未然に防止するため、同車の進行方向に充分の注意を払い、且つオート三輪車が疾行車道を進行せんとするのに、漫然その進路に近接し併進しようとするときは、接触の危険を生ずるのも保し難いところであるから、A道に入る前に一旦停車するか、若しくは最徐行して疾行車道に入り来る右オート三輪車の通過を待ち、始めてA道に進入するよう操車すべき注意義務あるものというべきである。しかるに同人は以上の義務を怠り、前認定の如くオート三輪車が左側緩行車道に入るものとばかり誤認し、単に速度を時速十哩位に減じたまゝでA道に進入し、オート三輪車と併進したため、遂に本件接触事故を惹越するに至つたものと認められるので、右事故による被控訴人の負傷は、ひつ竟藤沼の運転上の過失に基因するものといわざるを得ない。

ところで、控訴人は本件事故は藤沼忠左衛門が控訴人の事業の執行につき生ぜしめたものではなく、中村寛二との個人的情誼より同人の依頼に応じて私的に省用自動車を運転した結果によるものであるから、控訴人がこれにつき使用者としての賠償責任を負うべき筋合ではない、と主張するので、この点につき審按する。

本件事故発生の際、通商産業省の職員たる自動車運転手藤沼忠左衛門の運転する同省の自動車に乗車していた前記中村寛二は、稲垣通商産業大臣附秘書官であつたが、同大臣の辞任に伴い辞表を提出し、本件事故の前日である二月十八日附を以て退官辞令が発せられたところ、その辞令が本人に交付されたのは同月二十一日で、官報掲載が翌二十二日であつたことは当事者間に争がなく、右発令と同日電話を以て通商産業省を経由し、その旨中村に伝達されたとの控訴人主張事実を認むべき証拠はないから、中村は事故発生当時未だその官を失つていたものということはできない。しかるところ、原審証人藤沼忠左衛門、加藤嘉男、原審並に当審証人中村寛二の各証言によれば、本件通商産業省の自動車は、通商産業大臣専用車であつて、本来大臣及び大臣の指示する者並に大臣の送迎する者の乗用に供せられており、その他に使用するときは同省大臣官房厚生課自動車班総務係長の個別的な許可が必要とされていたこと、中村寛二は平素稲垣通商産業大臣附秘書官としてこれに乗車し、同大臣の送迎をしていた外、大臣の用務のため又は時に私用の場合もこれを使用していたこと、本件事故の日の前日にも中村は右自動車で稲垣の退官拶挨廻りに随行し同人をその宅に送り届けて後自宅に帰つたのであるが、その途中で藤沼忠左衛門に対し、翌朝競輪見物のため子女を連れて後楽園に行きたいから自宅より同園まで自動車を運転して貰いたい旨依頼したこと、藤沼は右依頼を受けたものの、同日は土曜日であるので総務係長に連絡して事前にその許可を受ける手配をすることができなかつたが、従来からの中村との情誼上、その申出を拒否することができず、これを応諾し、当日中村並にその長男長女等を乗せて後楽園に向け、本件自動車を運転したこと等の事実を認めうる。それ故右事実関係に徴すれば本件自動車の運転が純然たる公用のためではなく、又配車に関する同省の取扱内規に反してなされたものであることも明かである。しかしながら民法第七百十五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者がその担当する事務を適正に執行する場合だけを指すのでなく、広く被用者の行為の外形を捉えて客観的に観察したとき、いやしくもそれが被用者の職務行為の範囲内に属すると認めうるものである以上、仮令被用者が執務上守るべき内規若しくは命令に違背し、或は全く職務意識を離れ、自己又は知人の便益を計る等個人的目的を達するために、その地位を濫用してなした行為であつても、その結果惹起した損害は即ち使用者の事業の執行につき生じたものに外ならないと解し、使用者をして賠償の責を負わしめるのが相当であると考える。今本件について見るに、この事故を惹き起した自動車は通商産業省の自動車であつて、これを運転する藤沼は同省の職員として専ら自動車運転の業務に従事するものであるし、これに乗車する中村は従来通商産業大臣秘書官として常に本件自動車に乗車し、その辞表提出後と雖も、辞令交付前は未だその官を失つていなかつた者である。それ故右藤沼の本件自動車運転行為を外形的に見れば、中村秘書官を公務のために乗車せしめて運転する場合であると、本件の如く全くその私用のために乗車させる場合であるとその間別段の差異あるものでなく、右自動車の運転自体は一般的外見的には運転手藤沼の職務行為の範囲に属するものとすべきであつて、藤沼に対する行政監督上の問題は別とし、使用者の責任を定める民法第七百十五条の関係においては、本件事故はこれを同人が通商産業省の事業の執行につき生ぜしめたものというを妨げない。故に控訴人は藤沼の使用者として該事故により被控訴人の蒙つた一切の損害を賠償する義務を免れぬものというべきである。

よつて損害の数額につき審究するに、(一)被控訴人が東京病院における入院治療のため、入院料、手術料、ギブス料として合計金四万一千四百四十円、附添看護婦料合計金十一万四千三百円、退院後のマツサーヂ治療費等合計金九万九千三百円を支払い、その合計金二十五万五千四十円の積極的損害を蒙つたこと、及び(二)本件諸般の状況に照らし、被控訴人の受けた精神上の苦痛に対する慰藉料としては金五十万円を以て相当と認むべきことについては、当裁判所の認定も原審の所見と同一であるから、この部分につき原判決理由を引用する。次に(三)営業上の損失額を見るに、当審証人保谷公子の証言により成立を認めうる甲第五十六号証ないし第五十七号証成立に争のない乙第五号証の一、二、第六号証と原審並に当審における証人保谷公子の証言及び被控訴本人尋問の結果(いずれもその一部)を綜合すれば、被控訴人はその先代より引続き多年魚商を営み、事故前は常に雇人二、三名を使用し附近同業者中でも業績中位以上を占め、年間平均三十二万円の営業収益を挙げていたものであるところ、本件事故による負傷の結果、長期に亘る入院治療及び自宅におけるマツサーヂ療法を受けたに拘らず、健康状態なほ以前に回復せず、外出時には常に杖を必要とする程脚部に不治の機能障害を残し、従つて労働力も著しく減退し、重量物の持ち搬びは困難であるし、魚類仕入のため市場に行つても買付運搬等、兎角同業者の世話になることが多い有様で、長期の療養期間中営業に従事し得なかつたことによる得意先の喪失や右の如き身体不自由のための能率低下等によつて売上高減少し、業績は同業者の下位に落ちるに至つたこと、営業上の打撃は負傷の年の昭和二十五年度においては特に甚大であり、年間収益七万円に低下し、昭和二十六年度十三万円となり、昭和二十七年度以降成績更に回復したけれども、なお一ケ年十七万五千円程度を出ないこと(昭和二十八年度所得申告額並に税務署承認額は共に十六万円であつた(乙第六号証)が、乙第五号証の一により認めうる荻窪税務署管内魚商の同年度所得額が一般には前年に比し幾分とも増加している事実と、本件被控訴人についてもその所得が特に前年より低下すべき特別の事情が認められないこと等からして、被控訴人は昭和二十八年度において、少くも前年同様十七万四千円の所得を挙げ得たものと推定する)、等の事実を認めるに足りる。なお乙第六号証には、昭和二十八年度の被控訴人の所得につき荻窪税務署が調査の結果算定した金額として二十五万一千五百円の記載があるけれども、これは年間仕入量不明のため同年十一月二十六日実施した同日だけの店頭在庫調を基準とした推定売上高に基く一応の推計額たるに止り、さして確たる資料によるものでなく、税務署においても税務行政上の考慮から出たとは云え、結局その調査額を固執することなくして、本人申告どおりの額をそのまゝ承認し、所得額を確定したことが認められ、且つ乙第五号証の一に明かな如く、昭和二十七年度同税務署管内魚商の平均所得額は十九万七千百円、被控訴人の所得額はこれを下廻る十七万五千円であり、昭和二十八年度平均所得額は二十万三千八百円であるところ、被控訴人の所得額が同年度に至り、特段の事由なくして俄に平均水準を遥に上廻る前記調査額二十四万一千五百円にまで上昇したとするのは前年度所得額との比較上妥当を失すべく、彼此考え合せればむしろ同年度においてもその所得は事故による営業上の支障等の影響により、平均額よりは低く、仮令本人申告どおりでないにしてもせいぜい前年度所得額たる十七万五千円程度にすぎないものと認めるのが相当である。即ち右事実によつて見れば被控訴人が本件事故によつて受けた営業上の損失は、昭和二十五年度において金二十五万円、翌二十六年度において金十九万円、昭和二十七、八年度において年額金十四万五千円に達し、且つ特段の事情が生じない限り、一応右損失は昭和二十九年度以降においても同一割合を以て継続するものと認むべく、この認定に反する原審並に当審における証人保谷公子の証言及び被控訴本人の供述部分はいずれも採用し難く、その他右認定を動かすべき証拠はない。しかして被控訴人が当時四十二才の普通健康体を有する男子であつたことは右被控訴本人の供述により明かであり、通常ならばなお二十五年の余命を有することは統計上顕著な事実であるが、或程度の体力を必要とする魚商として営業活動に従事しうる期間はそのうち六十才までの十八年間位であると認めるのが相当であるから、被控訴人がこの間に得べかりし営業上の利益の喪失額は総計二百七十六万円となる。今これを一時に請求する場合であるから、ホフマン式計算法に従い年五分の割合による中間利息を控除すれば百五十一万四千五百九十三円となるべく、これ事故発生時を基準とした右利益喪失額に該当するのである。

されば被控訴人が本件事故によつて蒙つた損害の総額は以上(一)(二)(三)を合計した金二百二十六万九千六百三十三円に達するところ、被控訴人は既に訴外藤沼忠左衛門との関係において示談金として別途に金五万五千円の弁済を受けている旨自認する故、結局控訴人より支払を受くべき金額はこれを控除した残額二百二十一万四千六百三十三円とこれに対する事故発生の日の翌日たる昭和二十五年二月二十日より完済まで法定の年五分の割合による遅延損害金の範囲に止るものというべきである。従つて原審が控訴人に対し金二百十二万一千五十二円及びこれに対する損害金の支払を命じたのは、勿論相当であり、その取消を求める控訴人の本件控訴は何等理由がないばかりでなく、控訴人は原審認容の金額の外、更に被控訴人に対し金九万三千五百八十一円及びこれに対する右遅延損害金をも支払うべき義務あるものである。よつて右控訴を棄却すると共に、被控訴人の附帯控訴に基き原判決中被控訴人敗訴部分を変更して、控訴人に対し右金額の支払を命ずべく、当審で拡張された部分を含めて被控訴人その余の請求は過当につきこれを棄却すべきものとする。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十六条を、仮執行宣言につき同法第百九十六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 古原勇雄)

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